2006.03.22
「内容見本」は、死語なのでしょうか・・・

私は、高校生の頃、よく本屋さんや神田あたりの出版社をたずねて、内容見本や図書目録を貰い歩いたものでした。本に興味があったし、お金は無いし、内容見本を集めて、内容見本に何度も眼を通して、掲載の写真を眺めたり、出版の経緯などを読んだりして感心していたものでした。同じようなことを紀田順一郎さんが、「内容見本に見る出版昭和史」(本の雑誌社刊)のあとがきの中で、述べられていました。今の岩波書店の前あたりにあった、蔦のからまった古い岩波の社屋も記憶があるし、出版社の住所をみて、この出版社は、以前は神田にあったのに、なんて思ったりします。出版社を訪れたのは、小川菊松著「出版興亡五十年」という本を読んだのも、一因かも知れません。この本も出版に関する様々な話が載せられ、大変面白いものでした。
目下、この内容見本を販売しています。お陰様でこれまでに、色々な内容見本を販売することができました。私ども以外でも、内容見本を販売している本屋さんは、結構みかけますが、「まさか、古い資料が見つかるとは思いませんでした。」などと嬉しいメールを頂くと、私も大変嬉しい思いが致します。
一方、ネットで内容見本のタイトルを見て、「500円で○○全集が買えるのですか?」との問い合わせを頂いたり、「内容見本てなんですか?」とか「内容見本とは、どんな本ですか?」といったお問い合わせも頂く。そんなお客様には、内容見本とは、出版社が全集や事典などの出版物の宣伝のために印刷したカタログです、と説明させて頂く。さらに、現在刊行中の本の内容見本は無料で入手できますから、集めてみていかがですかと声をかけたりもしています。こういった質問が多いところを見ると、「内容見本」という言葉は、既に死語になってしまったのではないかという思いがしています。ちなみに岩波書店では、「内容案内」という言葉を使用しています。
内容見本の魅力は、色々あります。例えば、個人全集の内容見本をみれば、その作家の全業績が一目瞭然です。出版社によっては、全集と名前をつけるからには作者の断簡零墨まで、総て収録という編集姿勢のところもあります。また生前本人は、ある作品を全集に収録することを拒んでいたが、その作家の重要な位置づけの作品なのであえてこの作品を収録といったような、いわば楽屋話のような、作家を理解するうえでの重要な話が掲載されていたりしています。
年譜が添えられている内容見本も多いので、実績、経歴が理解でき、さらに著名人の推薦文の内容から、交友関係やら、その作家の作品の特徴を把握することもできます。以前、数名の松本清張のコレクターの方から、清張が書いた推薦文の載っている内容見本を全部欲しいといった注文も頂きました。
また内容見本には、その出版物の出版経緯が語られており、戦争で企画が頓挫していたのを30年ぶりに復活だとか、出版当時の社会背景なども理解できて貴重な参考資料といえます。
この内容見本を購入される方は、研究者の方、内容見本のコレクター、推薦文を書いている作家のコレクターなどです。 紀田順一郎さんは、「内容見本にみる出版昭和史」で、内容見本を通して昭和の出版史を語っておられます。昨今は、全集の発行が少なくなったし、「豪華内容見本」もあまり見かけなくなりましたが、神田の市場でもたまに、内容見本を見かけますので、在庫のある限り販売して行きたいと思っています。
内容見本に関して「日本古書通信」に以下の原稿を掲載して頂きました。
日本古書通信 昭和61年7月号(第684号)夢ふくらむ本のかたろぐ
日本古書通信 1993年5月号(第766号)紙屑の山からのめぐり合い
カテゴリ:書物のまほろば
2006.03.01
グーテンベルグ博物館訪問記

今年の6月、ドイツのグーテンベルグ博物館を見学した。きっかけは、ドイツのデユッセルドルフにいる二女が、遊びに来ないか、と声を掛けてくれたのだ。お陰様で娘の家を基点に、ベルギーのブルージュ、ドイツのロマンチック街道、フランスのパリなど、あちらこちら、初めてのヨーロッパを満喫することができた。私たち夫婦が日本を発つ前に、娘が、3泊4日のロマンチック街道のバスツアーを予約してくれており、折角だからと、最終宿泊地のフランクフルトを、もう一泊追加予約してくれていた。その、ロマンチック街道のツアーは、フランクフルト→ローデンブルグ→ノイシュバンシュタイン城→ミュンヘン→ハイデルベルグ→ブルツブルグと楽しい旅であった。そのツアーも終えて、フランクフルトに戻ると、サッカーのフェデレーションカップとかで街中が盛り上がっており、我々夫婦が宿泊したホテルにもギリシャの選手が宿泊しており、サポーターも沢山おり、子どもたちがサインをねだっていた。私には、フランクフルトに戻ったからには、グーテンベルグ博物館に行こうという思いが増してきた。
グーテンベルグ博物館は、フランクフルトではなく、そこから50キロぐらい離れた、マインツという街にあることは、ドイツに来てから分かった。ホテルの部屋の案内で、日本人向けに、電話をすれば日本語ガイドのサービスがあるという説明を読んで、明日起きたら、電話してみようと思った。ところが、朝起きて説明をよく読むと、日曜はそのサービスがないのである。それで、チェックアウトのときに、フロントの女性にグーテンベルグ博物館を尋ねたら、その女性は、隣の男性に尋ねていた。まず、マインツに行くには、フランクフルト中央駅まで行けということで、スーツケースをホテル預けて、二人で出発。フランクフルト中央駅までは、歩く。そして、駅のインフォーメーションに行って尋ねるとマインツ行きのホームは地下2階だという。チケットは自動販売機で買いなさいというので、どうやって自動販売機で買うのかと尋ねると、説明は難しいという返事が返ってきた。
ドイツの鉄道には、改札口というものがない。プラットホームには、自転車ごと入り込んでいる人をみかける。犬もそのまま、乗ってくる。そんな光景に、最初は奇異な感じを受けたものだ。とりあえず、地下のホームにおりて、自販機の前に立つ。マインツ中央駅の表示は見つけたがどうにもよく分らないので、通りすがりの若い女性に尋ねた。お金を入れる、人数を押す、駅のコード番号を押せばよさそうだ。ようやく切符をゲットして、地下2階のホームに下りる。11番ホームに、おじさんがいたので、マインツは、このホームでいいのかと尋ねる。そのおじさんは、ここでいいと言ったのだが、そのうちいなくなってしまった。しばらくして、そのおじさんは戻ってきて、隣のホームに来た電車に乗りなさいといわれ、電車がきたので乗ることにした。 フランクフルト中央駅を出発して、1駅、2駅と過ぎて、電車路線図の通りであるのでようやく安心した。実は、前日ミュンヘンで、ホテルに戻ろうと思って逆方向の電車に乗ってしまったのだった。
電車に乗ってしばらくして、反対側の座席に、5・6歳ぐらいの女の子と、おばあさんが目に入った。女の子は自分と同じくらいの大きさのコアラのぬいぐるみを持っておりミルクをあげる仕草をしていた。自転車まで、乗っけている。おばあさんが、我々に何処に行くのかというので、マインツのグーテンべルグ博物館へ行くのだと答えると、それは良いという表情をした。女の子は4歳だという。そのうち、大きな川の合流する風景がひらけてきた。おばあさんの説明によると、ライン川とマイン川の合流地点だという。そしてその先に大きな大聖堂が見えてきた。グーテンベルク博物館は、その傍だという。
マインツの中央駅に、着いた。私は女の子の自転車を担いでプラットホームに降りる。博物館まで地図もないし、タクシーに乗ろうと思っていたが、そのおばあさんは、両腕を交互にふり、歩けという。そのおばあさんさんが連れて行ってくれるのかと思い、後について行くと、なんとバス乗り場で、バスに乗ってしまうではないか。びっくりしたが、おばあさんは正面を指差して、ふたたび腕を交互に振り、歩けという。正面の先には、建物が立ちふさがっていたがともかく歩くことにした。途中、右に曲がったり、左に曲がったり何度も人に尋ねて、やっと大聖堂にたどりつき、すぐ先のグーテンベルグ博物館を見つけた。
博物館の入り口を見つけて、中に入れたときは本当に嬉しかった。入り口の売店で絵葉書や冊子を買い、2階へ上がり、グーテンベルグの印刷機を再現した機械など、いくつもの印刷機を見学。そして別室に42行聖書が、2冊ならんで展示してあった。世界各国の印刷物を紹介してあるコーナーもあり日本の百万塔陀羅尼や浮世絵、さらに中国の版本の展示もしてあった。三階へ上がると、説明の方が寄ってきて、ここは「バインデング」という。製本関係のコーナーと理解したが、「説明をしましょう」と言われたが下で妻が待っていたので、私は言葉が分からないからと言って断ってしまった。
博物館の案内によると、このグーテンベルグ博物館は1900年にグーテンベルグ生誕500年を記念して、マインツの市民のよって設立され、その後拡充されたようだ。色々な博物館が設立されるが、その後継続・維持が難しい博物館も多いのが現実だが、立派に運営されているのは喜ばしいことだ。
グーテンベルグは、金細工師か飾り職人であったようで、一時マインツの貴族と市議会、ギルドの争いに巻き込まれ、ストラスブルグに追放され、その頃から活版印刷の研究を始めたようだ。マインツに戻ってからも研究、工夫を重ね、活字は鉛を主体として錫・アンチモンなどを加えた合金を鋳型に流し、インクは水性インクでなく顔料を油で練った油性インクを開発、印刷機は、ワイン製造のためのぶどう絞り機やコイン刻印のためのプレス機を参考、開発は困難を極めたが、この発明が広くヨーロッパ中に拡がっていき、のちの宗教改革につながっていったようだ。
博物館を訪れた帰りも、妻は駅まで歩くと言い出し、再びなんとなく駅の方角と思われる方向を目指して何度も人に聞きながらマインツ中央駅にたどりつき、フランクフルトにもどれたのでした。
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